明石家さんまとにちか(二千翔)の関係は?心温まる絆があった!

にちか(二千翔)との思い出を語る(追記)

「痛快!明石家電視台」で明石家さんまが、息子にちか(二千翔)の思い出を語った。品川庄司の品川祐が中三の時に母親が再婚しており、俳優の片岡五郎が父親になった。

しかし、当時思春期だった事もあり、未だに「お父さん」と呼べずに「五郎さん」(イントネーションはおとうさん)と呼んでいるというエピソードを披露。

それに対して、明石家さんまは「お父さんとと呼ばれると嬉しいぞ」と自分とにちかとのピソードを披露した。にちかは、明石家さんまと大竹しのぶが結婚した際に、大竹しのぶの連れ子として、息子になった。

明石家さんまは、血がつなる「いまる」と分け隔てなく育てたのだが、普段はにちかに自分の事をボスと呼ばせているそう。あるとき、にちかが友人に対して不意に「ウチのお父さんがさ」と言った事があるそうだ。

明石家さんまは「すっごい嬉しかったのを覚えてるよ」と振り返っていた。実は明石家さんまの家族や子供への愛は非常に深いことが有名だ。

明石家さんまとにちか(二千翔)

明石家さんまの子供といえば、誰もがIMARUを思い出すだろう。しかし明石家さんまには血のつなながりのない息子「にちか」(二千翔)がいる。つまり、元夫人「大竹しのぶ」の連れ子、前夫である服部晴治との間にもうけた男の子だ。

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大竹しのぶは1982年にTBSのドラマディレクターの服部晴治と結婚し、1985年に長男にちかを生んでいる。しかし服部清治さんは、癌のため1987年に逝去。大竹しのぶは癌であることを知った上で結婚、出産をしたという。

大竹しのぶ&明石家さんま結婚

明石家さんまと大竹しのぶは1986年「男女7人夏物語」で共演、1987年に「男女7人秋物語」翌年1988年の映画「いこかもどろか」で再共演。この「いこかもどろか」での再共演が結婚のきっかけとなったと言われる。

明石家さんま

その年の明石家さんまとにちかを連れて再婚、長女のいまる(タレントのIMARU)を出産している。明石家さんまは、自分の血がつながっている「いまる」がうまれても別け隔てなく、二人を可愛がり愛情いっぱいの中で育てたという。

明石家さんまとにちかと関係性

にちかは子供のころとても体が弱く、喘息(アレルギー喘息)で毎日苦しんでいたという。しかも毎日薬漬けの日々それを見かねた明石家さんまは「薬なんか飲んだら、身体が弱くなるだけや!おれが治したる!」と宣言したという。

以前から自分の「気」の強さに気がついていた明石家さんま、自分が気を送る事で喘息を治すと宣言したのだ。もちろん、大竹しのぶも義母も大反対。明石家さんまは「一日だけ僕に時間を下さい」と譲らなかったという。

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そして、一晩中息子の胸に手をあてて「気と愛情のこもった言葉」をかけ、気を送り続けたという。その夜以降にちかの喘息の発作は治まり、薬も必要なくなったという。

明石家さんま

喘息が一晩で直ったかどうかは別としても、にちかに深い愛情を感じている事は間違いなさそうだ。その他にも愛情が垣間見えるエピソードは沢山ある。

仕事から帰って来た明石家さんまは、血のつながった「いまる」ではなく、まず「にちか」を必ず先に抱っこしたそうだ。それは、本当の父親をなくしている「にちか」に寂しさを感じさせない配慮なのだ。

テレビでは感じられない細やかな優しさを見せる明石家さんま、更には「いまる」の名前にももう一つの秘密があった。それは、、、

明石家さんま

①いまる ②にちか ③さんま ④しのぶ、1、2、3、4全員で家族はひとつという意味なのだそうだ。何とも愛情あふれる話しではないか。

その愛情の深さは離婚の話になった時、にちかは「ボス(さんま)のほうに付いていく」と言ったほど、さんまに懐いていた事に現れている。

明石家さんま

にちかの現在は?

にちかはとても頭が良く、高校受験では「慶應義塾」「慶應義塾志木」「早稲田大学高等学院」「立教新座」「青山学院高等部」に全て合格し、大学は慶応義塾を卒業。アメリカに渡り仕事していたという。

しかし1年半後には「あきた」という理由で帰国、大竹しのぶとIMARUのマネージャーを経験、その後芸能情報総合サイト「gemmy(ジェミー)」の運営を行っている。

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